天草キリシタン史について

天草キリシタン史

 1566年、ポルトガル出身のルイス・デ・アルメイダよってキリスト教が天草に伝えられる。ザビエルが鹿児島に上陸してから17年後のことである。

 当時天草は5人の豪族(大矢野氏、上津浦氏、栖本氏、天草氏、志岐氏)によって統治されていた。この五人の領主が次々とキリシタンに改宗したことで多く領民がキリシタンとなった。1588年7月、豊臣秀吉の命によりキリシタン大名であった小西行長が南肥後と天草の領主となる。翌年、城築をめぐり天草五人衆と小西行長との間に戦いが勃発。この天正天草合戦も1590年1月、小西・加藤軍の勝利で終結する。しかし、天草殿(ドン・ジョアン)は小西行長の配慮により旧領地が安堵された。その後、天草殿がコレジョ(大神学校)の天草誘致をアレハンドロ・バリアーノに熱心に働きかけた結果、1591年7月までには天草学林が完成する。それ以来日本各地から有能な若者が天草学林で学ぶ。志岐にもセミナリヨ(小神学校)やジョアン・ニコラオの指導のもと画学舎で多くの若者が学ぶようになる。この頃の天草はイエズス会にとって日本布教の重要な拠点となる。

 しかし1596年、豊臣秀吉による第二回目のバテレン追放令が出され、キリシタンへの弾圧が一層

強くなる。1600年の関ヶ原の戦いで西軍(豊臣方)で戦った小西行長は京都で斬首され、これによりキリシタンではない唐津藩主の寺沢広高が天草の新領主となる。追い打ちをかけるように1614年徳川家康による全国的な禁教令発布と、天草のキリシタンにとって厳しい時代を迎えることになる。その後のキリシタン弾圧、為政者の異常なほどの厳しい税の取り立てなどが重なり1637年10月天草・島原の乱勃発。原城に籠城した一揆軍は翌年2月28日の幕府軍総攻撃でそれまでの餓死者も含め3万7千人が殺される。これ以後日本のキリシタンは表舞台から姿を消し地下に潜伏することになる。

 

天草キリシタン・ガイドブック

 都は織田信長の台頭により戦国時代に突入しようとしていた時代に、天草では1566年、ルイス・デ・アルメイダによってキリスト教が入ってきました。その後40年位は多少の困難はあってもキリシタンは増え続けていましたが、家康の禁教令(1614年)からは迫害も露骨となり、とても困難な状況を通ることになります。そして1637年、遂に天草・島原の乱が勃発します。                                 本書は、その間(1566~1638年)に天草キリシタンたちに起こった出来事を天草に初めて来られた方にもキリシタンの歴史が少しでも深く理解できる手引き書になればとの思いで出版しました。特に難解なのは「殉教」です。踏めばお咎めなしで赦免される状況の中で、あえて絵踏みを拒んで死を選ぶのは何故か。これは人生の意味と目的、生き甲斐の本質に触れる問題だけに重要な聖書のみことばを添えました。もう一つは「天草・島原の乱」の本質です。いろいろな社会問題があって一言で説明できないのですが、それでも最も重要な要因を三つほど取り上げています。有力なキリシタン大名が健在であったなら日本の歴史が変わったかもしれない大きな出来事でした。

 その時代の天草史は宣教師の働き、織田信長の台頭、豊臣秀吉の朝鮮出兵、徳川幕府の動きと密接に連動し日本史に繋がっていきます。天草が最も輝いた躍動的な時代にスポットを当て、そこで成された命をかけた人々の生き様に触れられることを願いながら教会の有志で執筆したものです。

   天草キリシタンガイドブックを購入されたい方へ。(価格1200円)

        天草メモリアルホール TEL 0964-56-5311

        天草サンタマリア館  TEL 0969-45-8110

             天草キリシタン館       TEL 0969-22-3845

             TSUTAYA天草店      TEL 0969-23-5005

           天草中央キリスト教会へ直接FAXかメールで注文されたら郵送します。